Otolierの旅をモデル撮影中心に振り返る

世界の優れた楽器を適正価格で購入できる「Otolier」プロジェクト。2015年春頃から、この大きな構想を具現化すべくプロジェクトは動きます。中でも広告戦略は大切な事業の一つ。海外ロケに参加したカメラマンの水野氏、運営スタッフの中心として活躍した塩崎氏に当時を語っていただきました。

■どんなモデルが相応しいのか。オーデションを決行

ミラノの街角に楽器ケースを持った女性が佇んでいる――Otolierのコンセプトショットとなっているこの1枚は、カメラマンのインスピレーションから生まれました。

世界中の良質な楽器を集めたOtolierプロジェクト。「楽器と旅をする」というコンセプトにどんな写真が相応しいのか。そのペルソナ像をイメージできるようにするため、EYSはモデルを探すことにしました。担当の塩崎氏はモデル事務所数社に声をかけ、プロフィールを集め、何人かをカメラマン水野氏のスタジオでカメラテストを行い、野口ジュリさんに決定したのです。

「ラフな格好でスタジオに現れた彼女でしたが、カメラの前に立つやいなやスイッチオン!という感じで雰囲気がガラッと変わりました。ほかのモデルはポージングを繰返すうちに同じようなポーズに終始することが多いのですが、彼女は違います。表情も、ポーズも、つくりだされる雰囲気も、アイデアに富んでいて変化があり、撮っていて面白かったですね。群を抜いていました」と水野氏は振り返ります。

■海外にロケに行く。でも、「ただの観光写真になってはいけない」と思案

モデルが決定した後は、どんな場所で撮影をするかです。そこで水野氏が一番に気をつけたのは、「単に、観光している写真」をといった画像になってはいけないということ。イメージを固めるためにも、ロケハンをしたいところですが、海外なので叶いません。そこでグーグルストリートビューでアタリをつけ、現地のコーディネータに現地に行ってもらいサンプル撮影。その画像を参考にスケジュールに落とし込んでいきました。とはいえ実際には行かなければわからないことばかり。いくら準備をしても不安を拭うことはできませんでした。

同時に、メイクさん・スタイリストさんの手配、衣装の選定、移動バス、メイク場所なども必要です。モデル経験を持つ広報の鳥澤氏がスタイリストの力を借りて衣装を揃え、事前に衣装合わせを行い、どこで何を着用するのか等詳細を決めていきました。また、塩崎氏は移動バスの車中でメイクや着替えができるよう大きなミラーやコンセント設置を手配。打合せを重ね準備が進められていきました。

しかしこの海外ロケ、モデル撮影だけにはとどまりません。雑誌やサイト、パンフレット用にマエストロや工房への取材を行うためのライター、イメージ動画撮影のための動画カメラマン、その動画に出演するヴァイオリニストが同行。さらに塩崎氏が担当するEYSプロデュース楽器の商談も含んでいる旅です。モデルにしてみれば、自分の撮影には全く関係ない事項が盛りだくさんなのです。しかも全員に、商談のため塩崎氏が揃えたヴァイオリンを何基も持って歩かねばならないというミッションもありました。

予定通り全てを終えられるのか…いえ、終えなければならないのですが、正直誰にもわかりませんでした。

■ドキドキのOtolierの旅。いよいよ出発!羽田→イタリア→スペインへ!

総勢9人でまずは羽田からパリ経由でミラノへ向かいました。一人ひとつずつヴァイオリンケースを機内持ち込みに。実際に弾けるのはヴァイオリニスト1人しかいないのに、ケースを持って並んで歩くとまるで楽団のように見えたので、通りすがりの人に「どこの楽団?」「なんか弾いて!」と、これはヨーロッパ内の空港を歩くたび続きました。音楽が現地に根付いているからかもしれません。

まず一行はミラノへ到着し、翌日はヴァイオリンマエストロ、フェルナンド氏の待つクレモナへ。この旅で、どんな撮れ高を上げられるのか――スチール・動画の両カメラマンの緊張も最高潮に!幸い天気にも恵まれいよいよ撮影開始となりました。スチール撮影班は、クレモナの街並みでモデル撮影を、動画撮影班はフェルナンド氏の工房で製作工程を撮影・取材を進めました。一通り終えて再び全員で合流した頃には外も薄暗くなっていましたが、スチール班は、目の前にあった公園でダメ押しの夜の撮影も敢行。暗くなってからミラノに戻り、今度は夕食を兼ねたレストランでヴァイオリン演奏の動画シーンを撮り、1日目は終了しました。

2目はミラノスカラ座→ドォーモ→古城の撮影スケジュールです。コンセプトショットとなったあの写真は、この日に撮影されました。観光客など大勢の人々が行き交う道の真ん中で、スカラ座のガラス張りの天井を見た水野氏は閃いたのです!“ここで、シンメトリーに撮りたい”と。

有数の観光地。近くに何人もの警察官もいました。当然、時間はありません。水野氏はすぐさま三脚を立て、カメラをセッティング。モデルのジュリさんは、スッとカメラの前に立つと、あっという間にその世界に入りこんでいきました。「あの雑踏の中で、ジュリさんのポージングは圧巻です。ポーズ、表情、目線…多くを語らずとも自分が撮影したいと思ったイメージ通りに、モデルが呼応してくれました、その一瞬をとらえることができたのがあのショットです」と水野氏。前日のクレモナでの撮影を上回る手応えを得ることができ、緊張した状態から、胸をなでおろした瞬間でした。

こうして念願だったOtolierのコンセプトショットの撮影ができたのです。

■限られた時間の中でパフォーマンスを上げる

怒涛のイタリア撮影日程の後も、スイス経由でスペイン・バレンシアへ移動し、旅は続きました。オレンジ畑と隣接する楽器ケース工場や、楽器ケースを組み立てる工房、スペインの朝市での取材・撮影。最後はバルセロナへと移動し、スペインでもアイデア溢れる多くの画像を撮影することができました。

分単位の細かいスケジュールを事前に組んでいたものの、実際には現地に立ってみないことには分からないことばかりだったと水野氏。「状況を瞬時に判断し、どんな画像を撮影するのかがベストなのかが常に求められた毎日でした。この旅で鍛えられたお陰で、他の撮影現場に行っても、想定以上のクオリティのカットを残せるようになったのは確かです。

また印象的だったのは、メンバーの誰もがプロ意識が高く、自由時間があってもみんなで集まって何かしらの撮影や取材をしていたのですが、それが楽しかったですね。ストレス無くできたのは、メンバーがみんな良い人ばかりだったから。それに、EYSさんが用意してくださったホテルやレストランはどこも最高に快適で、観光気分も充分に味あわせて頂きましたよ」。

撮影に夢中になりすぎてコーディネータを怒らせてしまったり、行き違いで撮影許可がとれておらず思うようなカットが撮れなかったり、ハプニングもたくさんありましたが、常に前の自分を超える1枚を撮影しようと臨めたといいます。「この1枚から、Otolierのコンセプトを多くの人がイメージしてくれたら、カメラマンとしてこんなに嬉しいことはありません」。

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取材・文 三浦 久美子
EYSの事業に興味を抱く外部ライター。 今後も、皆様に役立つ情報をご紹介したいと思っております

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