銀座に旗艦スタジオを作ったヒストリー

 アルバイト→正社員→コア人材へと数ヶ月で成長できたプロジェクト by宮本

EYS音楽教室の旗艦店となる「銀座スタジオ」。新宿に続き2店舗目の店舗だ。

 

「飛躍するべき時だ」と、一部役員の反対意見を押し切って代表の吉岡がスタートしたプロジェクト。 その中心で活躍した当時のプロジェクト担当、宮本氏に話を聞いた。

 

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宮本剛志氏

EYS-STYLE 卒業生。 2012 年当時、銀座スタジオオープン・プロジェクト担当者。

 

 

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三浦久美子

インタビュアー・ライター

 

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2012年4月:銀座スタジオオープン10ヶ月前

当時、入社10ヶ月のアルバイトだった宮本は、吉岡からEYS音楽教室の旗艦店となる銀座スタジオオープンに関わる仕事を命ぜられる。

 

まずは、ハード面を固めることからスタート。

  1. 物件選び(担当:吉岡)
  2. 施工会社決定(担当:宮本)
  3. デザイン会社決定(担当:宮本)
  4. 施工会社・デザイン会社との契約締結(担当:宮本)
  5. ビルオーナーとの家賃交渉(担当:吉岡・宮本)

 

吉岡が物件選びに奔走する中、宮本は施工会社選定に取り掛かる。といっても「何を基準に施工会社を選ぶべきか」知識は皆無だった。そこでとにかく「数」で勝負することに。

 

都内、都下、近県の施工会社に片っ端からメールをする、その数、百数十社以上!後で分かったことだが、東京のほぼ全部の施工会社にメールをしていたことになる。そして、実際に会って話をしたのが100社にものぼる。

 

そう、100社余。しかし宮本は1社1社に会って丁寧に対応する。

 

建築条件や用途を伝え見積を依頼。施工会社「コンペですよね」宮本「コンペです」というやり取りの中で、「何社のコンペですか?」と聞いてくる。「100社です」と答えると、施工会社の担当者の顔が決まって“変顔”になるのが今でも忘れられない。「100社とのコンペ」なんて、聞いたことがない。

 

もちろん「それならば辞退する」という会社もある(当然だ)。しかし「それでもやりましょう」とコンペに参加してくれた会社なら「信頼するに値する会社なのではないか」と考えた。結局、コンペに参加した70社余の会社から施工会社を選び抜いた。

 

施工会社を選定中に、デザイン会社の選定に入る。当初は施工とデザインを同じ会社でできれば、予算的にも進行的にも効率的だと考え、吉岡に施工&デザインが連携できる5社を提案した。

 

しかし、それは吉岡のデザインへの考えからあっけなく崩れる。自分たちにとって「良い施工会社」と「良いデザイン会社」は必ずしもイコールではないからだ。吉岡は、そのデザインの良し悪しはもちろんだが、それをデザインしたデザイナー自身のセンスのレ ベルも見抜く。中途半端なデザイン力では吉岡に通用しない。よって、施工会社と同様コンペしたデザイン会社は80社にものぼった。

 

 

2012年6月:銀座スタジオオープン8ヶ月前

1ヶ月半が経過。この時点で、宮本に少し同情したい。施工会社のコンペ70社、デザイン会社のコンペ80社。尋常な数じゃない。

 

「でも私には、パートナー会社を選ぶポイントや見切り方など、膨大な数を重ねた経験から勝ち取った数々のスキルが身についていました。仕事は大変だったけれど、楽しかったことも事実です」

 

そして、金額交渉も半端がなかった。施工会社への工事費用は7600万円提示を4980万円に。他の会社の見積額では1億円超えのところも少なくなかった。家賃についてもひと月240万円提示を200万円に。さらに工事期間を鑑みてフリーレントは6ヶ月まで延長させた。

 

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中でもすごかったのが、貸主側との交渉だ。 内装工事に入る際、貸主側から依頼される工事というものがある。その工事項目及び工事費用が500~600万円というのだ。吉岡は、迫力満点で理路整然とこちらの要望を提示し、交渉を進めて行く。かなり強引に。しかし、相手も負けてはいない。数々の死線をくぐり抜けてきたであろう部長クラスの担当者が、吉岡の鉄壁と思える理論を正面からかわしていく。まるで検事と弁護士が裁判で尋問しあう…そんなレベルの戦いだった。

 

「あんなスゴイやり取りを後にも先にも見たことがない」と宮本。 数日を要した交渉は、大枠こちらの要望を飲むカタチでバランスを取り落ち着く。費用は100万円まで落ちた。

 

 

2012年9月:銀座スタジオオープン5ヶ月前

4月からはじめたこのプロジェクトもいよいよ佳境に入る。 今度は、ソフトの面の充実が必要になる。

やるべきことは、

  1. スタッフの育成(ヴィジョンの共有・オペレーションの設立)
  2. オープン告知を兼ね入会契約者を募ること
  3. 顧客満足度の向上

 

まず1.について、新しく採用されたスタッフと既存スタッフが一つの方向へ向けて同じビジョンを持たなければいけない。そのために何をしたか。

 

その一つに「現場見学」がある。工事中の銀座スタジオを見せ、そこでお客様が音楽を学び、様々な人々が交流するその中で、自分がイキイキと働いている…そのイメージを共有することで、スタッフ各自のモチベーションアップを図る。

 

と、同時に「ミュージックスタイリスト制度」をスタート。当時、講師はそのまま運営スタッフとして働いてもらうというコンセプトだったため、お客様の音楽&演奏シーンを共に作りあげて行く人材として、顧客満足を目指すオペレーション教育を行なう。

 

そして、2.に関しては、新規オープン時すぐにレッスンをスタートできるよう、テレマーケティングでオープン告知を兼ね体験レッスンへ誘導する、とはいえスタジオは工事中で体験レッスンができない。そこで近くの貸しスタジオへ宮本と講師とでお客様をご案内し、他社のスタジオを借りて、体験レッスンとシステムの説明を行った。

 

幾度にもわたりお客様、講師、宮本の3人組で音楽スタジオを訪ねるため、かなり怪しまれたような?気がするが、体験レッスンを実施した20人中20人の全員が入会するという入会率100%を達成。その他、テレマーケティングを駆使しながら、不可能といわれていた200件超えの220件オープン時入会で目標を達成!オープンを迎えるに相応しい数字をたたき出した。

 

 

2013年2月:銀座スタジオオープン!

いよいよ苦労が報われる、そのひと区切りを迎える時が来る。

 

宮本は、オープン時契約件数200件を達成後も精力的に入会者を集め、以後6ヶ月にわたり最高水準でKPIを持続す ることに成功。 アルバイトで入社しテレマーケティングをメインの仕事にしていた宮本が、 プロジェクトの遂行を言い渡され、新スタジオのオープンを成功させ、新しく入社する人材をマネジメントする立場になった。 これは、ほんの10ヶ月間の出来事である。

 

意味のある仕事は、恐ろしいほど人を成長させる。考える自由、行動する自由、挑戦する自由、それに伴う使命感と責任感。全てがバランスよく絡み合い、着実に宮本を成長へと導いた。そんなエキサイティングな仕事を任せてくれる会社は、この世にいくつあるだろうか―

 

「銀座スタジオがオープンした時は、達成感でいっぱいでした。本当に、仕事しかしていなかったけれど、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった」と宮本。

 

現在、某大手企業で働く彼は、当時を振り返ってこう話す。

 

「あの経験を経て、『できない、無理だと思ってもやる』という考えが身につきました。まずは、ゴールを見据えてそこから逆算して今何をすべきか。ゴールまでの道筋をつけながら行動できるようになったのは、大きな収穫です」

 

EYSがあったからこそ、今の自分がある。と言い切る宮本は爽やかに笑っていた。

 

 

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話してくれた人
宮本 剛志
大学卒業後、バンド活動を経てEYS音楽教室にアルバイトで入社。当初は、テレマーケティングを行っていたが、銀座スタジオ立ち上げ時にプロジェクトを任される。数々の困難と闘いながら無事オープン、その間正社員に。以後、店長を中心に様々な業務を歴任し、活躍。EYSでの経験を活かし次なる挑戦へ向け2015年EYSを卒業。現在は、某大手企業で更なる飛躍を目指す。

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